ロータリーの歴史
ロータリーの誕生とその成長 Birth and Groeth of Rotary


 今から90年前、1905年当時のアメリカは経済恐慌で人心はすさみ、犯罪は巷にみちているというありさまでした。これを憂いたシカゴの一青年弁護士ポールP・ハリスは、よい社会をつくるためには、人の和を図り、世の中に奉仕する気持ちを多くの人が持つようになることが大切だと考え、ポール・ハリス自身それ以前数年間、想を練り、まず、石炭商シルベスター・シール、鉱山技師ガスターバス・ローア、洋服商ハイラム・ショーレーの3人の友と語らい、2月23日、この理想をひろく人々に呼びかけるための第1回の会合を持つに至りました。
 はじめ数ヶ月は非公式にブースター・クラブ(ブースターとは向上させるの意)と呼んでいましたが、さらに印刷業界のハリー・ラッグルズをはじめ、他の友人が加わってロータリー・クラブの誕生となりました。
 ロータリーとは、集会を順番に、会員が各自の事務所で持ち廻ってひらくことから名付けられました。
 この理想は着々と実現され、1908年2番目のクラブがサンフランシスコにつくられ、1910年には国内クラブ数16を数えるまでになり、さらに国境を越えてカナダ、英国へと国際的ひろがりをもって発展し、ここにロータリー国際連合会ができ、1922年には国際ロータリーと呼ばれることになったのです。こうしてこのささやかな理想の芽生えは、現在151の国家と34の地理的地域にひろめられ、地区数506、クラブ数約27,500、会員数は120万名を超える世界的規模の奉仕
組織となっています。

注:1995年7月1日より世界の地区数は515となります。

日本のロータリーの歩み  History of Rotary in Japan


日本のロータリー・クラブは、1920年(大正9年)10月、その頃の三井銀行重役米山梅吉氏が、国際ロータリーから委任されて、東京に設立したのがはじまりで、世界で855番目のクラブでありました。つづいて1922年大阪、次に神戸、名古屋、京都、横浜に、また当時日本の統治下にあった朝鮮、台湾、さらに満州国にも設立され、昭和15年には48クラブ、2,000名の会員を数えるまでになりました。ところが太平洋戦争直前の昭和15年は国際団体に対する圧迫がロータリーにも及び、遂に日本のロータリーは国際ロータリーから一時脱退しなければならなくなりましたが、戦時下にあってもその精神と組織は失われず、例会はつづけられ、戦後の平和回復とともに、国際復帰をめざす努力が実って、1949年(昭和24年)3月東京、大阪をはじめ7クラブが国際ロータリー復帰を認められました。
 以来めざましい進展をつづけ、北は稚内、南は沖縄、サイパン、グァム、ミクロネシアまで、実にクラブ数は2,150を越え会員数も約130,000名におよび、現在なお、日本のすべての都市、すべての町にクラブができるよう努力がつづけられています。これは会員がすべて、住みよい世の中をめざして、ロータリーの奉仕の理想をひろめようとの、強い願いのあらわれにほかなりません。
 現在日本の会員数はアメリカに次いで世界第2番であり、ロータリー財団への寄付額は高いレベルで伸びています。